<元気の泉>

第9回
大切にしたいのは、人との巡り会い、自分に与えられた機会、そして本当のユーモア

大阪・生と死を考える会 分科会
大阪・ひまわりの会(死別の悲嘆のわかちあいの会) 代表 松城里香

「13年前に、3歳の長男を病気で亡くしました。闘病生活の末に初めての子どもを失い、悲嘆にくれて体調を崩した私を妹が連れていってくれたのが、上智大学でアルフォンス・デーケン教授が主催していた「東京・生と死を考える会」でした。巡り合わせというのか、会の存在を知る前にたまたまデーケン先生の著書を読んでおり、また、初めての参加でしたが、同じ時期に息子さんを亡くされた方に出会うなどの偶然が重なり、人との出会いに恵まれ、助けられました。

やがて次の子を授かり、子育てに追われていたころに、大阪でも会を作ろうという話が持ち上がり「大阪・生と死を考える会」「大阪・ひまわりの会」の立ち上げにかかわりました。「大阪・ひまわりの会」は大切な人を亡くした悲しみをわかちあう当事者中心の集まりです。そして、いつまでも悲しむだけでなく、それを発展させて教育や社会へ働きかけようというのが「生と死を考える会」で医療関係者や教育関係者などもメンバーに加わっています。

会にかかわるようになってから、会報などに原稿を書くことが増え、それが書籍に掲載されることもありました。亡くなった子どもの存在は、家族などごくわずかな人の心にしか残りません。しかし書籍になれば、子どもが成長してさまざまな人と出会うように、長男は書籍として人に出会っていくのではないかと考えることができるようになりました。

大阪での活動が始まってからも、偶然の出会いに助けられることが多く「巡り会い」ということをよく考えるようになりました。インフルエンザ・脳症の会/病児遺族わかちあいの会「小さないのち」の坂下裕子さんを通じて、「ヘルスケア関連団体ネットワーキングの会」を知り、現在は、ワークショップの準備や関西学習会の運営にかかわっています。病気や障がい、老いも、何かの機能を少しずつ無くしていく「喪失感」があるはずで、「喪失」という意味では、私たちと分かり合える部分があるのではないかと考えています。私自身は直面していないテーマも多くジレンマもありますが、現在進行形で病気や障がいに立ち向かっている人の生き様から、とても大きなエネルギーをもらえる気がします。患者や医療についてのニュースは私にとって「三人称」のものではなくなり、その一方、私たちの存在が他の団体の人にとって生と死を考えるひとつのきっかけになるかもしれない。だから、ヘルスケア関連団体のネットワークに遺族会やセルフヘルプグループがかかわっていくことに意味があると考えています。

私が生きる上での「よすが」にしているデーケン先生の言葉は「ユーモアとは、にもかかわらず笑うことである」。ドイツのことわざということですが、悲嘆やつらさを越えて、不条理や人生の深淵に直面し、悲しみの縁に立たされ、「にもかかわらず」笑える、そんな本当の意味でのユーモアを持ちたいのです。もうひとつ「自分に与えられた才能を何かのために使うことがこの世に生まれてきた義務」という先生の言葉も生きる目標としています。ひまわりの会やネットワークの会の仕事も、他に適任者がいるのではないかと思うこともありますが、せっかく私に与えられた機会だからと引き受けています。自分の力や経験を提供することが、生まれてきて生きている私の義務だと考えながら、ユーモアを忘れずに、これからも活動していきたいと思っています。