<元気の泉>

リレーエッセイ/第7回
一本の電話から始まった、私の患者会活動

東京都難病相談・支援センター業務受託 NPO法人東京難病団体連絡協議会 事務局長
小金井地区肝友会 事務局長 杉田清子

私が患者会活動にかかわったのは、ある一本の電話がきっかけでした。肝硬変を患う男性から突然、「肝臓病患者への支援を行政に働きかけるために、ともに動いてくれる人を探している」という電話があったのです。彼は病状が重くて仕事ができず、陳情に行くにもバスを使わず歩いていくほど経済的に困窮していました。私は肝臓病患者の多くが直面する厳しい現実を実感しながら、一緒に市役所を訪ね、市議会に足を運び、請願を出し続けました。難病者福祉手当の要望が聞き入れられ、次に患者会設立をめざしましたが、まだ準備段階のうちに男性は亡くなりました。

彼から電話があったときに申し入れを断れば、おそらく患者会活動に参加することなどなかったと思うのですが、同じ患者ということで何か感じるものがあり、結局、患者のQOLをめざした彼の遺志を継いで、活動にのめり込んでいきました。市の広報で患者会の結成を呼びかけ、電話をかけてきてくれた3人が役員や世話係として協力してくれ、1985年小金井肝炎友の会を立ち上げることができました(10周年を機に小金井地区肝友会)。

1992年からは東難連(東京難病団体連絡協議会)の活動も手伝い始めました。難病医療無料相談事業や相談に応じて患者団体を紹介する等から始め、経験を踏まえ、徐々に活動が広がってきました。東京都にも難病相談支援センターができることになったとき、患者会主導で、ピアサポートを積極的に行うセンターを作りたいという私たちの提案が認められ、現在は東京都難病相談支援センターの業務を受託しています。昨年度は福祉分野に貢献した団体や個人に贈られる「保健文化賞」を受賞しました。私たちの地道な活動が認められて大変うれしく思っています。

しかし、難病患者を取り巻く状況には相変わらず厳しいものがあります。「治らない」「治せない」をかかえている難病患者は、つねに死の恐怖を背負い、就労も患者会活動もままならないのです。私自身、周囲に同じ病気の患者が見当たらず、担当医が肝臓専門医ではなかったため、正しい情報が得られず、回復の見通しが立たずつらい思いをしました。治療費も長い間自費でまかない、経済的にも苦しみました。こうした経験から、相談活動では正しい情報を提供し、患者さんが治療に前向きになれるように、と心がけています。

患者会活動にかかわって20年になりますが、私は、何も知らないまま飛び込み、何でも人に聞いて教えてもらうことで、たくさんの方々とつながって活動してきました。失敗も遠回りもたくさんしましたが、多くの人と出会い、支えてもらったから今日があると思っています。しかしながら無念に思うことは、毎年、ともに活動してきた仲間が何人も亡くなることです。本当に残念で仕方がないのですが、その気持こそが私の患者会活動の原動力なのかもしれません。

あるとき、会報を作るのに慣れないワープロ操作に四苦八苦していたら、5歳の孫が「困ったときがチャンスです。頭がよくなるチャンスです」と歌ってくれて、「そうだなあ」としみじみ思いました。困難は多いけれど、それはハードルを乗り越えるチャンスなのだと考えて、これからも前向きに歩いていきたいと思います。